2011年9月5日 被災地支援活動報告
9月4日夜出発し、9月5日の支援活動へ参加してきました。
今回初参加になります。
ちなみ私は9月3日の笑顔クッキー作りも参加させていただきました、買った物じゃなく手作りだから良いんだよね!とみんなで話しながら、心を込めていろんな笑顔のクッキーを焼いてきました。
4日 23:00
不安と緊張の入り混じる中、バスに乗りこみ女川町へ向け出発しました。バスに揺られながら朝を迎えました。
インターを降り市街地を走り始めると、被災の爪痕が見えてきました。戸や窓のない民家や店舗がそこらじゅうにありました。
女川町に入るともっと悲惨な光景が広がっていました。
いよいよ現地に到着し、11:00からの炊き出しの準備です。
笑顔プロジェクトの先輩方に教えてもらいながら準備を進めていきました。
私はそばを担当して炊き出しを行ないました。
蕎麦を盛り付けながら、現地の方といろいろ話をしましたが、とにかくみんな元気元気!!
孫と楽しそうに列に並んでいるおじいちゃん、おばあちゃんを見るととても震災があったふうなど見えませんでした。
あと、たくさんの『ありがとう』という言葉をもらい、本当に心に響きました。
蕎麦打ち名人 大口さん おばあちゃんが見入ってましたよ。
バルーンアート喜んでもらってよかったですね!まっぴんさん!
15:00 片づけを終えて女川町を出発しました。
その後、女川町町立病院へ向かいしました。 この病院は、少し高いところにあり、町が見渡せる高い場所にありましたが震災のときは、1階部分まで津波で水につかったそうです。 そこから町を見渡せば、津波が全てを飲み込んでしまった様子がよくわかりました。
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今回初参加の被災地支援でしたが、とても良い体験になったと同時に、助け合うことの大切さに気づかされました。
現地の人たちの復興へのパワーも直接感じとることができ安心もしました。
あと、笑顔プロジェクトのみなさん、それぞれの個性で現地の人たちに笑顔を届けていることにも感激しました!!
今後も被災地復興を応援していけばと思います。
ありがとうございました。
(株)相崎電機製作所 小島智博
被災地の様子というのを私は朝のニュースや新聞等のメディアでしか見たことがなく、悲惨なイメージが強く残っていました。それゆえ私は破壊された町の中の暗い表情の人々を想像していました。
高速を降り、まず目にした光景は一般的な町並みでした。自分が想像していた悲惨な光景とは違う平穏な光景がしばらく続きました。しかし、バスが現地に近づくにつれ天井の崩れた家や積み上げられたガレキの山等、跡形も無くなってしまった町並みが窓の外に広がりました。何よりも最近まで人が住んでいたのだと思わせる雰囲気も残っており、それが残酷に感じました。
現在、避難所として活用されている女川総合体育館で、私は炊出し班の一人として蕎麦を配給するそこになりました。
蕎麦の配給は、茹でる、氷じめ、盛り付けの3工程があるため列がつまってしまい、焦りからトッピングで用意した山菜も均一に盛り付けることができず、途中から掛け蕎麦になってしまい信州の山菜蕎麦を楽しみにしていた被災者の方々に切ない思いをさせてしまいました。
もし次回、同じような機会を与えていただいた際は、今回の失敗を糧に心に落ち着きを持ち、深呼吸し同じ失敗をしないように心がけたいと思います。
失敗や反省ばかりでしたが、避難所の方々が「ありがとう。」と笑顔で言ってくれたことがとても嬉しく思いました。また、元気に遊ぶ子供や喫煙所で世間話をする人々の様子がとても和やかで、私の当初の想像はとても良い意味で外れました。そして、少しずつでも確実に活気を取り戻しつつある被災者の方々の強さに触れ、逆に私自身が勇気付けられたようなきがします。
今回、現地に赴き現地の人々と触れ合えた事は、またとないとても貴重な経験でした。私を笑顔プロジェクトのメンバーとして迎え入れ参加させていただきありがとうございました。
(株)相崎電機製作所 片桐大貴