日本笑顔プロジェクトとの出会い・支援活動をしていただいて
ボキャブラリーも文章力もない私ですが、日本笑顔プロジェクトを知るきっかけになったことや支援活動をしていただいて感じたこと、思ったことなどを書いてみます。
日本笑顔プロジェクトと私が繋がったきっかけを話すならば、私と林映寿さんとの出会いから話さなくてはいけません。私がなぜ「映寿先生」と呼ぶか・・・
今から2ヶ月程前の9月5日、息子と娘の通う女川第一小学校で学年PTA行事「筆遊び」が行われました。
元々、自由に書いた筆文字が好きだった私は子ども達が学校から持ち帰る筆文字や文香、笑顔うちわを見て興味津々だったのです。
そして当日、字が下手で書道も苦手な私でしたが、映寿先生の筆遊びは「間違いはなし!楽しく書こう!」書き順も、はね、とめ、はらいも自由。しかもただ書くのではなく、クイズや二人一筆だったりして楽しい!楽しい!子ども達やお母さん達の笑顔で溢れました。
子ども達は、あの筆文字やあの姿を見れば「映寿先生」と分かるのです。子ども達の心にそっと寄り添い笑顔を生み出す。映寿先生と子ども達はもうお友達になっていました。
子ども達の名前の落款や奥様手作りの袋までいただき、アシスタントをしてくれたメンバーさんの笑顔も素敵でした。
見事に筆遊びにはまった私は、後片付けを始めていた映寿先生のそばへ行き握手をしていただきました。とても温かい手で心にまで染み渡ったのを覚えています。
はい、それからです。
映寿先生の筆遊びに恋をしたのか(笑)映寿先生の人柄に魅了されたのか・・
映寿先生ってどんな人?長野県から来たと話していたな・・気になる!
震災後、国内外様々なところから、ご支援をしていただいているのにも関らず生きること、普通の生活に戻すことに精一杯だった私は、「ありがたい」と感謝の気持ちはあっても、どこからの支援でどのような支援活動をしていただいているのか、知ることも調べることもほとんど出来ずにいました。
私の中で「筆遊び」「もっと知りたい」「ネット復旧」この3つが重なって?復旧したばかりのネットで検索。そこから日本笑顔プロジェクトを知るきっかけになったのです。
筆遊びから6日後、群馬県嬬恋村のキャベツ5000個を日本笑顔プロジェクトを通して女川町へ支援していただけることになり、仮設住宅や近隣住民への配布のお手伝いをさせていただくことになりました。
みなさんとても喜んでくれ、手渡す私も受け取る方達もキャベツを囲んで自然と笑顔になれました。
そして更に13日後、長野県へご招待していただきました。
浄光寺フェスでonagawafishのチャリティー販売のお手伝いなどをして、充実した楽しい時間を過ごさせていただきました。そこで出会った日本笑顔プロジェクトのみなさんは親切で明るくて楽しくて笑顔いっぱい!!こんなに笑ったのはいつぶり?という程楽しい時間を過ごしました。
その後も、着物をリメイクした物や文房具、タオルなどの支援物資を送っていただき配布のお手伝いをしました。
11月8日、女川町でまた日本笑顔プロジェクトのみなさんと再会することが出来ました。
今回は社会福祉協議会(地域包括センター前)と旭が丘集会所前での信州蕎麦、栗庵汁粉の炊き出し、笹寿司、菓子パン、笑顔クッキーなどの配布、保育所での風船アトラクション、リンパマッサージなどの支援活動、現地調査をしていただきました。また、毛布や手作りちゃんちゃんこ、林檎など地域住民のニーズに合わせた支援物資の提供もありました。
私は外回りのお手伝いを中心にさせていただいたので、それぞれの場所での支援活動の様子は少ししか分かりませんが、社会福祉協議会前の炊き出しでは、そこで働く方達や瓦礫撤去作業、復興工事に携わっている方達が集まってきて信州蕎麦の蕎麦打ちの様子を間近で見て感心していました。笑顔クッキーや笹寿司を配っていた高校生の笑顔も広がって温かい雰囲気でした。
旭が丘集会所前での炊き出しでは、信州蕎麦が大人気!栗庵汁粉は初めて食べる方が多く、甘くて優しい味で気に入った方が沢山いたようです。もちろん、笑顔クッキーも大人気であっという間になくなっていました。
普段外に出てこないおじいさん、おばあさんの喜ぶ姿を多く見ることが出来ました。「美味しい美味しい」と食べて、話して、満面の笑顔になっていました。
笑顔プロジェクトメンバーの笑顔は本当に最高です!!
避難所生活から仮設住宅での生活へと、生活スタイルはプライバシーが守られる本来あるべき状態に近づいていますが、光熱費や食費のかからなかった避難所生活からこれからは生きていくために生活費を稼いで自立していかなくてはなりません。家も家族も仕事場も失くした人達にとってどれだけ大変なことか・・
近所の方とのコミュニケーションをとるにも、情報を得るにも環境が変わった今なかなか難しく、悩んでいる人も多いと思います。
11月1日より女川町各地域7箇所に「心とからだの専門員」が常駐し、仮設住宅、居宅で生活する皆さんが安心して暮らせるようにお手伝いしてくれています。支援活動の際、そこに居た方や近所の方の声を聞いたりお話しを少しだけしました。
「今はもうあまり来てくれなくなったので、このような支援活動はとてもありがたい。」
「集会所に私達が常駐したり交流会を開いても来るのはだいたい決まった人。」
「こういう支援活動が入ってくれると、仕事がなくて家に居る人も普段外に出てこない年配の方も外に出て交流する機会が出来る。」
「居宅の人と仮設住宅の人とのコミュニケーションをとるきっかけにもなるので日本笑顔プロジェクトさんが来てくださってありがたい。」「地元や近所の人達には、「大丈夫、大丈夫」となかなか話してくれない人達もこうやって外から来てくれた方には話しやすいことも多い。」
「自分の震災の時の話を聞いてもらいたい人は沢山居るが、周りにはもっと酷い状況の方も多く、自分のことは話せないでいる。」要望としてはマッサージをして欲しい方が多く、筆遊びも新たなコミュニケーションの場としてぜひ行ってもらいたいとのことでした。
生活のニーズ、必要なものが変化していくので、どこにどれだけの人達がいてどんなニーズがあるのか、今はその変化に即座に対応出来る活動が望まれていると思います。継続的に寄り添い続けることにより、地域との信頼関係も増し、人と人とが繋がって笑顔が伝わっていくと嬉しいと思いました。
自立生活を促し促進させたいという観点から大口では取次ぎが出来ない支援もあり、臨機応変に柔軟性を持って対応して欲しいと思う面もありますが、そういうところで賄いきれない部分のお手伝いをこれからもしていけたらいいと思います。
震災により知人が亡くなり、実家の家もなくなってしまい、ライフラインの途絶えた生活をしていたけれど自分の家族や家、車も無事だったので、被災地にいるけれど被災者ではないようなある種の罪悪感に悩むこともあります。
そんな思いの中にいた時、映寿先生や日本笑顔プロジェクトのみなさんとの出会いがありました。私の出来ることなんて、ほんの少しなのですが出来る人が、できることをすればいいのだという思いで支援のお手伝いをさせていただき、色々な方達と出会い、触れ合いいっぱい話していっぱい笑顔でいられるようになってから、私の長年の悩みだった偏頭痛も消えてなくなりました。笑顔の力って凄いなって思います。
震災後から何度も女川町へ来て熱いご支援をしてくださり、ありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。また、その笑顔の活動に少しでも関ることが出来て嬉しいです。
町はなくなっても、人の笑顔、子供達の笑顔、大切な人の笑顔があれば希望を持って前に進んでいけるのではないかと思っています。近い未来は、笑顔溢れる女川町に・・・。
日本笑顔プロジェクト 女川支部 R H