宮城県石巻ボランティア活動(2011,4,8~10)
たまたま私は被災しなかっただけ、他人事にできない。「地球の笑顔を作ります!」と言って、こっちでよろしくしてる自分に違和感を感じた。連日のニュース・新聞を見る度に切ない。
死者2万人、未だ行方不明者2万5千人など。「じゃあ、具体的になにができる?」考えたときに
その答えは「何もしない」という答えもあるかもしれない。
既に「輪番停電などで電気に不自由している」、「義援金も入れた」などいくらでも答えはある。むやみに被災地にむかうことは場所も食料も電力も余計に消費する。ある事故が起きてすべての人がその事故に向かっては事態は好転しない。その人それぞれの役割があるはず。被災地では火葬もしてくれない、お経もあげてもらえないと言うのなら、我々がお寺の本堂でお坊さんにお経をあげてもらえばどうか。
身近な栄村の復興に瓦礫の撤去や笑顔を渡すなど、我々が出来る範囲での支援をしてきた。
しかし、今回は違う!!震災直後から、心のモヤモヤが取れずにいた。集めて頂いた物資と、寝袋と冷蔵庫のおかずと軍手を持って、現地に飛び出した。現地に近付くにつれて、心のモヤモヤが取れていく感覚がした。モヤモヤが取れたかわりに、「ひどい胸のいたみと苦しみと、名付けようのない切なさ」に襲われた。
石巻ボランティア本部に申請を出し、早急に現地へ向かう事になった。今、一部では、ボランティアは必要無いという報道もあるが、あれは違う(キッパリ言わせて下さい)確かに、エキスパートの力は必要です。
しかし、現場の中で圧倒的に足りないのは「人の手」です。家が海水に浸水され、ヘドロや汚水、流されてきたであろう船の一部、家に飛び込んだ車。ここでは、「用意していった悲惨な想像」よりも遥かに筆舌できない場面があった。私は一人で向かう未熟さや不安感なんてものは全く初めから気にならなかった。5人1班で各浸水家屋に向かう、初対面ではあったが、すぐに気持ちは同調していった。最前線では、自衛隊や各国のエキスパートが復興に向けて動いている、その手の届かない部分は??我々ボランティアが作業をする。
作業をしている横で、被災された方が暗い顔で事態の重さを痛烈に投げかけてくる。私が行った前にボランティア強奪事件が有り、ボランティアと言えどもミーハー野次馬精神的なボランティアはそこでは必要ない。
それに避難者感情を到底、我々がわかりっこないんだ!!だからどこにいても、「自分の出来る事・自分が出来る事」をやるだけ。
腐臭ただよう浸水されたトイレの汚物や汚水を手で拾い上げ、着実に家の中を綺麗にしていく。「私の本気」
が通じたのか、段々と家主のおじいちゃんが笑顔になってきた。作業も終わった頃には、「ありがとうございました」とお声をおかけ下さった。
笑顔が見れた。それだけで私は救われた。しかし、事態はまだまだ復興なんてものではない。
「また来よう」そう思った。次回は4月27日の予定。支援物資と炊き出し。大幅に遅れましたが、東北の一部では子供たちの新学期がスタート。教科書もないし、ピカピカのランドセルも背負えないし、字も書けない。
そこに、文房具やカードゲームを持って行きたい。未来を担う子供達に、自分が出来る中で精一杯支援していく。あの栄村小学生が見せてくれた「地震なんかに負けないもん!」を東北に!!
子供達の夢や希望を持たせるのは我々の役目、他人事になんかできない。
日本笑顔プロジェクト 文章/写真:鷲森秀樹