2011年6月23日 女川支援活動~足湯&マッサージ~
現地に到着後さっそく雨の中、テントの設置から始まった。テント内には、バラの花びらが浮かぶ6人掛け足湯、栗菓子とリンゴジュース・お茶の談話スペース、パイプ椅子が並んだ肩もみコーナーが設けられた
私は肩もみグループ配属となり、避難生活をされている方々と直に接することになった
テレビや新聞で見聞きしてきた情報や、道中バスの外に広がった津波の爪痕を目の当たりにして、被災された方とどんな言葉を交わしたらよいのだろうかと、会話は控えることにして、
“ただ ただ 背中と寄り添う”
“手のひらから 笑顔を伝えよう”
この2つがこの日私にできる精いっぱいなのだと 背中の後ろに立つことに徹した
身の上を話し始める人には ひたすら相槌をうち
硬く丸くなった小さな背中のおばあちゃん
「コってる? 右? 左は?」「曲がってる?」「どう?」自分の背中がとても気になる女性
「誰かに肩もみなんてされたことないんだよ」と、ありがとう ありがとう を言い続けるお母さん
黙って座り、黙ったまま去っていく男性
「肩に置いてくれた手、温かいね 涙がでちゃうよ」のお母さんの言葉に私の方が涙がでてしまう
手のひらから笑顔が届くこと実感
人の身体に触れること それはその人の心に触れること
改めて“人に触れる”ことの奥深さと尊さを感じた
背中と向き合う時間には限りがあり、撤収作業が始まった
精いっぱいの肩もみを一人ひとりに伝えたはずなのに、片づけ作業をしながら私の中には何か消化しきれないものが残っていた 帰りのバスの中では この日の自分、日常の私、今までの自分自身 反省事ばかりが頭の中をまわっていた
被災地での支援活動には、出発までの準備に奮闘された人達に託されたスマイルクッキー、 プリンパフェやリンゴジュース、様々なたくさんの思いを現地に届け伝えることのほかに、課せられた役割がある それは被災地の実情、見たもの感じたことを周りの人達に伝えるということ
最近 震災に関するニュースが減ったと実感する人
実は大地震が自分を立ち直らせてくれた、と思いがけないことを口にする人
大震災は 被害に遭った人 遭わなかった人、遠い地のたくさんの人にも大きな影響を与えた 私達はその経験を忘れてはならないと、現状を伝える私も再認識する
震災前のような生活を取り戻せないでいる人々への支援の手を絶やさないよう 現地を訪れることに限らず私にできることを続けていきたい
笑顔プロジェクト 永田さち子
3.11あの日から3ヶ月
各メディアなどで、被災地の復興が進んでいる様子を見聞きしてきたので、全ての被災地で復興が順調に進んでいると錯覚をしてしまっていました。しかし、現実はそんなに簡単なものではありませんでした。
6.23「日本笑顔プロジェクト」支援活動メンバーとし初の震災支援活動。本当に行って良かったと思っています。ずっと心の奥にあったモヤモヤ感。自分にできることはないのか。このままでいいのか…。そんな気持ちを抱きながらも3ヶ月の間、義援金寄付をしたり、チャリティー対象の商品を購入したり、支援物資を集めたり、そして、何よりも「日本笑顔プロジェクト」の想い、目の前の家族や友人、大切な人たちを自らが笑顔になって、笑顔をつなげたい!に賛同しながら、更に私のできることは、たくさんの幸せのお手伝いをし、幸せの連鎖をおこす。そう自分の心に言い聞かせ、行きたくてもなかなか参加できなかった支援活動を応援しているだけでした。
今回やっと参加ができるチャンスとタイミングが巡ってきて、「今しかない!」という気持ちで、代表の林さんに問い合わせさせていただきました。
女性として参加して、逆に気を使わせてしまわないか…できることがあるのか…いろいろな不安がありましたが、「女性にしかできないケアがあるはず。」「自分の目で見て各々感じていただくことが絶対に必要。」「一緒に笑顔を届けましょう。」そんなお言葉に勇気をいただき、大袈裟かも知れませんが決心を致しました。
何だってやってやる!どんな現実も目をそむけるのではなくしっかりと受け止める!そして、今までの私のように、参加したくてもできない人に、就職活動で悩んでいる生徒達に、仕事で壁に当たっている仲間達に、未来を背負っていく子供達に、微力ながらも伝えられることがあるのではないか、こんな私でも自分の周りの方達と被災地の方達との、気持ちや空気のパイプ役になれるのではないか。
それも今できることの一つではないかと思い参加した次第です。
今回の支援内容の中で、私は「足湯&マッサージ班」避難所である女川町立総合体育館前で、硬直しきった全身が少しでもほぐれ癒されるよう、少しでも心に寄り添えることができれば…。
実際はとても緊張しました。どうコミュニケーションをとれば良いのか、被災された方の体験談をお話くださるものの、なんて言葉を返したら良いのか。バスで通ってきた、避難所の下に広がる町並みを目にしたからこそ、この土地で生まれ育ち、家族として生きてきた人たちを目の前にした時の感情は、なんと表現したら良いのか、正直わかりません。そんな心配をしながらも、たくさんの方とお話ができました。皆さんの強さに驚きました。「遠くから来てくれて、こんなにしてもらって、いろいろな人達に出会えるのも、これも地震のおかげだね。って言えるようになったのよ。本当に最近になってからだけどね。」「熊谷麻里子さんてお名前なの?いい名前だわ。お体大切に、お帰りも気をつけて。私も長野にいつか行ってみたいわ。」「こんなに美味しい羊羹食べたのはじめてよ。電話でも取り寄せられるのかしら。」「長野に行ったときに、(支援メンバー)大口さんに会うにはどこに行ったらいいの?」なんて方も!
ガチガチになった肩をマッサージしてもらいたい。という目的の方もいらっしゃれば、誰かとお話をしたい。そんな方が多かったようにも思います。笑顔を届けに、元気を届けに行ったつもりが、逆にパワーをもらいました。まだまだ広がる、がれきの山。土の中に沈む車。鉄の固まりがぐちゃぐちゃな様子。避難所や仮設住宅の支援の偏り、人間関係。気付いているのにどうすることもできない現実がそこにはありました。でも、その中から湧き出る力強さを、生き様を感じ取れたようにも思います。
たとえ家が残骸となってしまっていても、しっかりと生き様があった場所には、固い絆がある場所には、希望の光が消えずに残っている。そう確信しました。
今回の経験で、強さをもらいました。その強さを今後の支援につなげていきたいと思います。
「日本笑顔プロジェクト」最強メンバーです。一員として参加できたことに心より感謝致します。
笑顔プロジェクト 熊谷麻里子
チームワークの良さで、次から次へと計画がパワーアップして進んでいく
様子に・・・ただただ感動して・・・「自分も何か役に立ちたい」
という思いがどんどん膨らんでいきました。
まずは500個のプリンパフェ作りから・・・
プリンの素を無償提供して下さったかんてんパパさんを始め、オブセ牛乳さんやフルーツやチョコレートも
地元のご好意で用意され・・・その話を聞いただけでも笑顔になりました。
林さんの奥様を中心に、市川社長提供の素敵なキッチンで楽しい楽しい
プリン作りのスタートです。食べてくれる子供達の笑顔を想い浮かべながら・・・
作る皆も笑顔であふれ「ヘルプ」のメーリングに続々と笑顔の
仲間が集まり、ますます笑顔の詰まった500個の幸せプリンが並びました。
夜遅くまでお疲れ様でした。
現地では・・・足湯&マッサージ班として
最初は緊張してしまい、永田さんのマッサージを見よう見まねで
慣れない手つきでしたが・・・
背中越しに「わぁ~気持ち良いわぁ~ありがとう」と言ってもらえると・・・
自分がお役に立てたのが嬉しくて、順番やマニュアル通りで無くても、気持ちを込めてやれば
必ず伝わる・・・
想いが伝われば・・・肩凝りや体の疲れだけでなく・・・心もほぐれて
色んな思い出話や家族のこと、3月11日の震災の時の話や今の避難所生活の様子などを
話して下さいました。
わずかな時間でしたが・・・マッサージを通して、心も触れ合う事が出来たように思います。
足湯の方からも・・・ユーモアたっぷりの市川社長&T板さんを中心に、笑顔の花が
咲いていました。
今回参加させて頂き、私自身は微力ではありましたが、仲間の皆さんのお陰で
本当に良い勉強をさせて頂きました。
今後も自分に出来る事、自分達に出来る事を・・・続けていきます。
被災地の1日も早い復興と安心した生活が出来る事を願ってやみません・・・
笑顔プロジェクト 篠塚明美