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救援物資運搬・炊き出し (2011,4,27)

筆あそびでお世話になっている小布施町浄光寺の副住職の林映寿さんが「日本笑顔プロジェクト」を立ち上げ明日、27日(水)に宮城県石巻へ炊き出し・支援物資を届けに行きます。

今回は総勢24名で1000食分のうどんなどの炊き出しと子供達のために文房具やアナログオモチャを届けに行きます。明日の天気予報は雨。雨天中止の予定だったけれども笑顔プロジェクトに参加の皆さんの熱い気持ちで雨天決行となった。そして、私も同行させていただきます。 

今回、久しぶりに日記を書くのは私がこれから体験することを伝えることもボランティアになると思ったから。だから自分勝手に思ったこと、感じたことを素直に、下手ながらも書こうと思う。

今回、このプロジェクトに参加することは両親にラルを見てもらうためと会社の人にお休みをもらうために伝えたのと支援物資に協力してもらえそうな人に伝えただけだった多くの人が、「帰ってきたら話を聞かせて」と言った。 

ボランティアに参加したい人がたくさんいて行きたいけれども、それぞれの事情があったり行きたいけど、どうしたら行けるのかも分からない。もどかしいそんな気持ちが伝わってきた。

私も先月長野市のボランティアセンターに登録してもなかなか連絡がこなくて募金や献血、チャリティーイベントと言われるものに参加するも、本当に必要としている人のところに必要としている時期に届いているのか? 疑問に思いいてもたってもいられない頃にこの「笑顔プロジェクト」の炊き出しのことを知った。 

ボランティア経験もない特別な資格や免許を持っているわけでもない女が邪魔しに行くのでは?という不安もありましたが、映寿さんにボランティア希望を申し出ると「平日だけど大丈夫?精神的に厳しいと思うよ。」 と言われました。

テレビを見ているだけでも涙が出てくるそんな状態でメンタル面の心配はあったけどでも、そこには女の人だって子供だってお年寄りだっている。日本の、私の住んでいるすぐ近くで起こっていること。今やらないでいつやるの? そう思った。 

林さんはじめ 、幹部の方々は女性を連れて行くことに対してとても慎重に対応してくださり今回のプロジェクトでは4名の女性が同行するそうです。テレビでは伝わってこないもの揺れ空気、地の方々の感情、自分の身にも何が起こるかわからない恐怖不安がないわけではない。

でも、「笑顔プロジェクト」で炊き出しに同行できること感謝している。一日の炊き出しに行くために関係者の方々が多くの時間、多くの費用をかけてくださっている。私はただついて行くだけ。幹部の方々が心構えや現地の状況などしっかりと教えてくださり行く前にメンバーとのやりとりの場も設けてくださったりとても素晴らしいチームだと思う。

27日0時 天気は雨、すごく寒い。 総勢24名 7台の車が長野を出発する。 これから向かう先も雨が降り、寒いのであろうか。

私は支援物資を載せた車に乗った。 支援物資・支援金を提供した人、仕分けや積み込みをした人の 「本当は一緒に行きたいけど、行かれない。どうか届けて欲しい!!」 温かく優しい気持ちがたくさん詰まった車に乗り込んだ。

改めて、今回ボランティアに参加できたこと、参加した意味を考えた。 車中、同乗した女の子とも話をした。 福島近くから高速道路がガタガタと道が悪くなり車酔いとこれからどんな光景が目に飛び込んでくるのか。 そして、初めてのボランティアで迷惑をかけないか。 不安で胃が痛くなった。

高速道路は支援物資を運ぶ大型トラックがたくさん走っていた。SAには観光バスが停まり、観光客が出てくるのかと思っていたら、ボランティアに行くのであろう中高年の方々がたくさん降りてきた。 9時頃、石巻付近に入ると平日なのに渋滞をしていた。自分が出来ること、したいことを考え行動に移している人がいる。 そう思った。

石巻は天気予報に反して晴れ。 暖かく感じた。まず到着した場所は石巻駅前の広場 。

ここで炊き出しをする。ここは、石原軍団や清原選手も炊き出しを行った場所だと聞いた。 3か所の避難場所の中央にあり石巻市役所も目の前で多くの人が集まるそうだ。 

ここはかなり整備された場所だった。テントなど設営をしている最中に駅員さんに声をかけられた。駅員さん「ここでなにしてる?」(少し怒ってる・・・?)私「1000食分の炊き出しを11時ころから始めます」 駅員さん「・・・ありがとう。みんなに声を掛けてくる」 広場周辺にはたくさんの人が集まって来ていた。

ここで、炊き出し班と物資運搬班に分かれて行動をすることになり私は物資運搬班に同行した。 石巻駅前広場を出発すると歩道はすべてこのような状態。

一か所めの支援物資をお届けする女川第一中学校 

今、この中学校は小学生と中学生が一緒になって授業をしている。 到着して車を降りたら子供たちのかわいらしい歌声が聞こえてきたどこの学校でも見られる光景。 しかし、高台にあるこの中学校から見下ろした風景に言葉を失った。

ここに辿り着く前にも目を覆うような光景が広がっていた。

毎日地震のニュースを見ていると具合が悪くなるニュースを見るのをやめたという大人がいる。何回も同じCMが流れて抗議をしたという人もいる。子供たちは、このような景色だけを毎日見ているこれが現実なんだと思ったら胸が苦しくなった。

驚きを抑えつつ、支援物資の搬入を始める。各地から集まってきた支援物資そして私の友達も協力してくれた支援物資が子供たちの元に渡る時がやって来た。

子供たちは授業中。静かに廊下を歩き、物資を運び込む掲示板には各地から寄せられた応援メッセージが飾られていた。 

教室をのぞきこむと一生懸命勉強をしている子供たちの姿。未来ある子供たちの大切な時間だ!! 直接ふれあうことはできないか・・・と残念に思いながら玄関に行きました。教頭先生と林さんが別れの挨拶をし最後に子供たちはいないけれども、「教頭先生と記念写真を撮らせてください」とメンバーがお願いをすると。

「でしたら、生徒たちもぜひ。今、授業が終わりますので。」 
と、教室に案内をしていただいた。

「支援物資もお顔の見えない人からいただいたものより、やはり直接会っていただく方が子供たちも喜びますので。」 子供を思って発する言葉には重みがあった。

子供たちがどんな表情をしているのかドキドキしながら教室にお邪魔した。

教室に入ると、子供たちが物珍しそうに集まってきた林さんが「長野からみなさんに、文房具とおもちゃとクッキーとジュースを持ってきました」と言うと。大喜び!!

長野から来たことで大喜び、文房具をもらえることで大喜び、おもちゃもあるの~?で超大喜び、クッキー・ジュースもあるで大変な騒ぎになっていました。 笑顔クッキーをメンバーから手渡しさせてもらうことになりました。 

この笑顔クッキー、前々日に浄光寺に支援物資を届けに行ったときに、ちょうど作っているところで
林さんのかわいい娘さんに一枚いただきました。 すご~く美味しい笑顔のクッキーなんです。

私も子供たちに手渡しできた。「ありがとう」ってしっかりと目を見て言える女の子。少し恥ずかしがりながら小さな声で「ありがとう」って言った男の子。ちょっと悪ふざけして先生に頭を押さえられながら「ありがとう」と言った男の子。いろんな子がいた。

もらっていない子はいないかなって見渡していると女の子の3人が私のところに来て、

「私ね、クッキー大好きなの。本当に嬉しい、ありがとう。」

「久しぶりのおやつです。」

「おやつの中でクッキーが一番好き。」

わざわざ、お礼を言いに来てくれた子がいた。 クッキーでこんなに喜んでくれるのかって思った。もっと、あれが欲しかった、これが欲しかったって言われるかと思ったこの子たちの給食はパンと牛乳だけ。

そして、あの光景こ~んな過酷な生活を送っているんだからなんでも、なんでも、好きなものを言ってもいいと思った。 言って欲しいと思った。涙が出そうになった。涙が出そうになったけど、私は、笑顔プロジェクトの一員で今回来れなかった人の分まで笑顔を届けるために来ている。泣きたいのは、この子たち。 そう思ったら、「このクッキー、すっごく美味しんだよ。食べたら、このクッキーみたいに笑っちゃうよ~。」 と言うのが精一杯だった・・・

そして、みんなで笑顔の記念写真を撮った。未来ある、子供たちを支えていきたい。一時の幸せを与えるだけではいけない。何度も何度も来よう。そう思った。

クッキーを渡し終え炊き出しをしているメンバーの元へ。炊き出しメンバーは、ガス屋さん、お寿司屋さん、麺屋さんが中心となりスムーズに進んでいました。私はデザートのゼリー配りをさせてもらいました。 「孫の分も下さい」と言われると、じゃぁ多めに。。。それを見ていた人が、「前の人はいくつ貰っていた」と言う。ここでは特別はない、公平にしなければならない。場所を変え、仕切りのないところでゼリーを配り始めると。列を作らず、四方から延びる手。一個ずつ配る私を差し置いて、すべてを持っていこうとする。

 

それが本能だ。 自分の身を守るための行動だ。 生きていくための手段だ。そう思ったけど、 遠くでこちらを見ている方の姿を見つけ、このままではいけないと思いっきり声を振り絞って 「少しでも多くの人に行き渡るようにご協力ください。」 その言葉で、元に戻してくれる人もいた。

そして、炊き出しをしている私たちを手伝ってくれた、おばさま二人と出会った。「自分たちは、家も仕事も失った。早く仕事をしたい」 そして「あなたたちは、いいわね。帰ったら仕事があるんでしょ?」 その通りです。今日が終わってしまえば、普通の生活です。行きの道中で同乗した女の子と話をした。 きっとこの言葉を言われるだろうと。

「ボランティアに参加したという自己満足で終わりにしてはいけない私たちは今後に繋げるために来たのだ」 「49日が過ぎ、風化されてしまうのではないか」「いつかよりは今、今この現状は今でしかない。 しっかりと目に心に焼きつけよう」そんな話をしてきた。仕事の愚痴なんて言えない。
安定した暮らしをさせてもらえていることに感謝すると同時に「また来ます。」それが答えだった。

炊き出し1000食を配り終え2か所目の避難所「湊小学校」へ。
 

校庭には「希望の湯」があった。炊き出しをしている中で、地震から一度もお風呂に入っていないという人の声も聞いた。避難所によって差がありすぎる。ここの学校の周りには墓地がある 。 

墓石の上に車が・・・ 近づくと仏像も倒れ首が取れているものもあった。大人の私でも、恐ろしいものがあった。この墓地の向かいに体育館への入り口があった。

(裏口ではない)
瓦礫が山積みで足元はグチャグチャでかなり足場が悪い。 この体育館には物資を受け取るために大勢の人が集まっていた。その中で、突然「あのね、このお洋服着せてほしいの」と女の子が言ってきた。「寒いの?バンザイできる?」「はいっOK!!」と頭をなでると「ありがとう」と足早に去っていく女の子。しばらくすると、「○○ね、おもちゃが欲しいの」と違う女の子が話しかけてきた。

「どんなおもちゃ?」 「フラフープと~、投げ輪と~、おやつ!!」 すると横から、「オレも!!おやつ!!あとね~楽しい本!! 今ある絵本、もう飽きちゃった・・・」と片手には恐竜の絵本を持っていた。 この体育館には、入り口で監視をしているおじいさんがいて子供たちが走り回るたびに

「走るな!!」と注意される子供たちここでのルールがあるのだろう。遊びたい盛りの子供たちの遊び場は悲惨な状態そして、広い体育館も走り回ってはいけない場所。遊びたいおもちゃもなく読みたい本もない。

電気や電池を使う今流行のおもちゃを求めているわけではない。。。そして、まだまだいっぱい甘えたいはずなのに。小さいながらにも、今、自分が置かれている環境をしっかりと受け止めていた。それでも、なんとか伝えようと私の元にやってきたんだよね。

16:00 炊き出し1000食を終え、支援物資を2か所に届け。笑顔プロジェクトのメンバー全員で、忘れてはいけない場所に立ち寄った。
 

 門脇地区360度、見渡す限りこの光景どこまで続くのか。長野から車で数時間しか離れていない場所なのにこれが本当に同じ日本なのか・・・

この景色の中、手書きで作られた「がんばろう!石巻」の看板。私には、この看板がネオンで派手に飾られたどんな看板よりとっても眩しく、美しく見えた。最後に寄ったのは石巻市災害ボランティアセンター。各地・各国から来たボランティアが集まりテントを張って生活をしている。ゴールデンウィークを利用して、ボランティアに参加される方が多いと報道されている。

平日でも渋滞している状態だったからゴールデンウィークはなおのことだろう。 今回、無事に家に帰って来て、涙が止まらなかった。 現地でこらえていた涙と1日で行って帰ってこれるような場所なのになんでこんなに違うのか。あまりの現実の違いに戸惑った。そして帰って来てよかったのか?もっと居たかった。

いろんな気持ちが一杯でした。今回、笑顔プロジェクトの一員として参加できた意味。ボランティアに参加し感じたことを嘘偽りなく伝えていくことで今後ボランティアに参加したい人の後押しになれれば、そしてこれからもボランティアに参加すること。

今後、長い人生の中で、ゴールデンウィークを遊ぶ・休むの他にボランティア活動に参加するという過ごし方、選択肢に入った。

笑顔プロジェクト 横川玲子

日本笑顔プロジェクト代表 林映寿

一人ひとりが笑顔を持って、家族、友達、職場、地域に笑顔をつなげたい、そんな思いから2011年「日本笑顔プロジェクト」を立ち上げました。まずはいま自分が「笑顔」になって更にその「笑顔」の輪を日本全国にそして世界に広げていきたいと思います。プロジェクトにご賛同・ご協力・ご支援頂ける皆様のご参加をお願い致します。